終電を乗り間違えて5時間歩いて、不良の孫氏の兵法にあった件
いい年して、終電を乗り間違えてしまいました。
緊急停止ボタンが押されたために、降りたホームが変わったのに気づかず、
いつも通り目の前の電車に乗ったところ、違う方向の電車に乗ってしまい、
5時間歩くことになってしまいました。
タクシーに乗れば、自宅まで38分。しかし、7000円以上かかるという試算。
歩けば5時間ほどかかるが、無料。
電車で行けば400円で30分ほどだったのに・・・
その選択肢の中で、翌日の予定もあったので、徒歩で帰ることを決断。
カラオケに泊まろうとも思ったのですが、フリータイムは二人から。
一人で入ると、1時間いくらという形で料金がかかるため、泊まるのは不可能と感じました。
「若いし、いけるだろう」と思い、5時間歩いたのですが、
若さは関係ない
つらいことはつらかったです。
最後は、もう気合で歩きました。翌日、左足だけを痛めました。
左利きなので、無意識に重心を傾けていたのかもしれません。
真夜中を5時間歩くと、いろいろなことがありまして、
夜中の交通量を感覚的に調べられたり、いつもは車で通りすぎる町並みをゆっくりみれたりと、非常に勉強になりました。
不良に絡まれるというアクシデントもありました。
絡まれるといっても、信号待ちの車から罵声を浴びせられる程度でした。
どういう心理なんでしょうか。
赤の他人を馬鹿にする発言をして、仲間内で笑う。
相手に聞こえる声で。
私は「?」という感情しかわかなかったのですが、特にそれ以上の感情はわきませんでした。
赤の他人を馬鹿にすることで、仲間同士の価値観を再確認しているのでしょうか?
「俺はあの人をこういう風に見ていいる」という感覚を言葉にすることで、仲間に伝え、
それを仲間も笑うという形で反応し、「お前と一緒である」と伝える。
その相互発信によって、共同体意識を固めるという心理なのかなと感じました。
私はコンビニのベンチで、座っていただけなのですが、
その私に対して関心があったと解釈するとするならば、他人への関心が少なからずあるのかもしれません。
悪口ならば、静かに車の中で行っていればいいものを、窓を開けて、聞こえる形でいうというところを考えると、私に対しての威圧行為を行うことで、対外的な自分の地位確立を行うと同時に、仲間内での対内的な地位確立を行っている。
「俺は強いんだぞ」
ということなのでしょうか。
私は無反応でいたのですが、それは彼らの心理にとってどのような影響を与えたのでしょうか。
そもそも、反応があることを想定していなかった可能性があります。
私が仮に、「なんだお前!喧嘩売ってるのか」と、好戦的な反応をした場合、自己顕示を行っていた彼らからすると、対内外的に自分の地位確立を行っていたのにも関わらず、その確率が脅かされる可能性が出てきたことによる恐怖心を基盤とした防衛本能が発動する。または、下等にみていた相手からの反応にプライドを傷つけられ、「思い知らせる」という攻撃本能が発動するのか。
ただ、ここで一つ、条件が発動します。
彼らの罵声は「ヤンキーだ!ヤンキー(笑)」というワードに限られていたということです。
車から、ベンチに座っている他人に罵声を浴びせている時点で、自分たちの地位を再確認していた可能性があり、冗談まがいにいっていたことから、私が近づいた瞬間に、
「ヤンキーこえー」といって、逃げることも可能になります。
仮に、見た目を批判する言葉を浴びせていたり、恫喝する言葉を浴びせていた場合は、前述のような防衛・攻撃本能が発動していた可能性はありますが、今回は馬鹿にしていたという点です。
言われた私からすれば、事実と異なり、挑発行為ともとられる今回の行為は、不愉快といわざるを得ません。しかし、彼らの発言は、自分を下等に置いており、相手が反応してきても、上等な立場の者が、下等な自分たちに反応してきているため、逃げても当然の行為として解釈でき、本能を発揮せずにいても否定されることはありませんし、この件が周知されても、笑い話として片づけることができるのです。
しかし、言われた本人は、言われたことによる心理的ダメージがあり、逃げられた時点で、敗北が確定するという完全に負けゲーム。
彼らは孫氏の兵法である
戦わずして勝つ
を実施していたのです。
逃げたら勝ち。逃げなくても勝ち。私が逆転することは不可能でした。
と、言いたいところなのですが、
引き分けにもっていくことはできました。
それは、圧倒的なパフォーマンスを見せつけることです。
私はできないのですが、ヘッドスピン等の技術力があったとすれば、
それを見せつけることで、彼らより上等な技術をもつ人間だということを表明でき、彼らを名実ともに下等に置くことができたのではないでしょうか。
その場合、彼らは楽しんで帰ることもできます。しかし、それは楽しんで帰るという感情で終われることではありません。
彼らが設定した状況を維持しながら、決定権をこちらが握ることになるのです。
こちらが設定した上下等の設定を提示し、確立することができます。
彼らは、その経験を周知したとしても、「すごい人に出会った」という反発意識がない形でそれを受け入れることになり、こちらは上等意識の中で終わりを告げることができるのです。一見、勝利に見えるのですが、これは覆し、マイナスをゼロに直したにすぎず、逆転勝利とは言い難い状況があります。
まぁ、それを実施できなかったため、私の完敗ではあるのですが、
今の不良は、無意識的であるとは思うのですが、孫氏の兵法を使っているのかなと感じました。
ビーパップハイスクールのような、ゴリゴリのヤンキーとは違い、
腕っぷしによる上下を付ける時代から、心理戦の時代に移行してきたのかと
私のイメージではあるのですが、昭和の不良は、長ランの番長を中心とした組織構造だったと思いますが、今は、普通の学ランに色のついたTシャツを着たり、ネクタイを緩めたりすることで、おしゃれ意識の強い不良が多くみられる気がします。
昭和の不良からすれば、心理戦は「シャバイ」のかもしれませんが、
今は普通なのかもしれません。むしろ、武闘派から知能派も兼ね始めたという進化があるのかもしれません。
データまでは持ってきませんが、少年犯罪も知能犯罪が増えていた気がします。
無意識のうちに孫氏の兵法を実行できる彼らは、
もしかしたら、非常に有能な人材なのかもしれません。
その彼らが活躍できる社会を創生していく方法を考察する必要もあるのかもしれません
追伸
あまり気にしていないように見せて、ブログに書いてしまうところが、
相当悔しかったという自分の深層心理を表出しているような気がします。
瞑想して落ち着こうと思いますが、不良の社会学も面白いかもしれません