研究は天下為公

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リーダーの哲学(演説力)

私なりの「リーダー学」というか、「帝王学」を書き殴りますね。

 

リーダーとボスの違いは、よく言われますが、

上から目線で命令をするのがボス

同じ目線で、一緒に、または、率先して行動するのがリーダーみたいですね。

 

一見、ボスはダメみたいに見えますが、そんなことはないと思うんですね

ボスが重要な組織もあると思います。

組織論でもあると思うですが、優秀な部下がいる。あるいは、大規模な組織においては、ボスが必要だと思うんです。優秀な部下がいるのに、トップが率先してしまうと、部下を委縮させてしまったり、才能を刈ってしまう可能性があります。したがって、ボスは上にいた方がいいこともありそうです。

 

 逆に、発展途中にあったり、部下を育成中であれば、トップが率先しないと停滞状態を構築しますし、成熟なんてないと思うんですね。ですから、ボスとリーダーは使い分けないと、組織は成熟できませんし、成熟しても熟れて枯れてしまうと思うんです。調整がとても重要だよ思います。

 

この基本軸はあると思うのですが、トップに重要なのが、接待力。これは、内部の接待力も外部への接待力も同時に問われると思いますが、今回は、演説力について話を書きたいと思います。

 

何かと演説する機会が多くなるトップ。施政方針演説や挨拶など、話す場はたくさんあります。しかし、これ、一歩間違えると、組織を壊滅させてしまう危険なものなんですね。逆に、うまくいけば、組織を躍進できる最大の鼓舞になると思うんです。

 

では、演説の時に気を付けなければならないことはなんなのでしょうか?

 

演説の時に気を付ける五か条

  1. 聴衆のタイプを見分ける
  2. 話の大筋を決める
  3. 聴衆の反応をみての分岐点を用意
  4. 言葉遣い
  5. 変化をつける

1.聴衆のタイプを見分ける

まず、気を付けなければならないことが

「これ重要だから、みんなきくだろう」という王様タイプ

よく考えてください。今思えば、校長先生の話は素晴らしいと分かっても、当時はそう思わず、めんどくさくてたまらなかったですよね

大人になってもそれはあります。いくら肩書があろうと、実績があろうと、謙虚さを失ったら、誰もきいてくれませんし、そんなの独り言です。相手に伝えるためには、聴衆がどんなタイプなのかを考えます。成績のいい社員や高学歴な人たちだけなのか、はたまた、幼い子供なのか。聴衆をひとくくりにできなかったとしても、大まかに対象を探る必要がありますし、最大公約数を狙っていく必要があります。

 

2.話の大筋を決める

そもそも、アドリブなんてやめたほうがいいです。アドリブで、タジタジするのは聞き苦しいですし、見苦しいです。そんな人についていきたくありません。たとえ五分間であろうと、演説内容は考えていかなければいけません。

相手が誰であろうと、その時の演説が、語り継がれる可能性がありますし、どこへ広がるかわかりませんから、必ず練っていきましょう。

 

3.聴衆の反応をみての分岐点を用意

とはいえ、細部まで決めておくのは素人です。必ず、岐路を作りましょう。演説をしたとして、聴衆の反応が思ったような反応出なかった場合、はまっていない可能性があります。そのまま続けても退屈なだけですし、あまり効果はありません。

反応によって、「真面目な路線」「ジョークを交えた路線」「専門用語てんこ盛り路線」「かみ砕いた路線」など、いくつかは用意しておく必要があります。そうすることで、「いい演説だった」と思ってもらえるような演説になります。そのためにも、事前に練ることが必要になります。

4.言葉遣い

勘違いされている人が多いですが、かみ砕けばいいというものではありません。相手が大学生で、優秀な学生の集まりなのに、専門用語一つ使わないのは幼稚かもしれません。内容がふんだんででも、専門用語を使うことで説得力が増す場合があります。

逆に、高校生を対象にした演説で、専門用語をふんだんにすると、専門用語に気を取られ、話が入ってこないという事故が発生する可能性もあります。これは、会社でもそうですね。課長職以上の人にしか伝わらない話を新入社員にそのまましても伝わるわけがありません。その時はむしろ、自分の新入社員時代の話などをした方がいいかもしれません。言葉遣い、厳密には、言葉選びは慎重にしなければ、同じ話も伝わらないという事故が起きます。

 

5.変化をつける

どんなに内容がよくても、はまっていたとしても、こちらは一生懸命に話しますから、元気ですが、聞いてる方は座っていることが多いと思います。

座っているだけで、話を聞いているだけでは、飽きてしまうかもしれませんね。その時こそ、飽きさせない演説力が必要です。

別に、泣く演技をしろということではなく、抑揚をつけることが必要です。この文章をここまで読んでみて、少し目がちかちかしたり、飽きたりしてませんか?

そうだとしたら、仕方ありません。なぜなら、まったく文章に変化がないからです。文字を大きくしたり、色を付けたりという工夫を一切していません。飽きても当然だといえます。演説でもそうです。身振り手振りをつけたり、間をあけたり、声を大きくしたり、小さくしたり、変化をつけなければ、お経です。

お経って、ありがたい教えが書いてあるのに、一定の声で読まれるから、じっくりきこうとしたら眠くなる人がいるかもしれません。(罰当たりですね)

変化をつけ、エンターテインメント性を担保した演説が必要です。

 

  • 演説はエンターテインメント

結局、演説なんてエンターテインメントです。

演説なんてきかず、本を読んだ方が確実だし、自分のペースで進められます。

それを話にするわけですから、本では味わえない要素が必要です。

そして、本もある程度のターゲットを絞っていますが、演説は、その場での修正が効きます。聴衆に完全フィットできる可能性が大いにあるのです。ですから、朗読会ではいけないのです。内容は崇高でも、エンターテインメント性をもって、笑う楽しみより、興味深い楽しみ方をさせることが重要ですね。

 

ちなみに僕は、誕生花の花言葉を使ったりします。

そこから展開したり、時事問題などを扱うことで、豆知識の披露による知識の広さや時間的新鮮さを与え、引き込みやすくなります。といっても、聴衆によっては使いませんがね。