研究は天下為公

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地方創生は、行政がやることじゃない

地方創生や地方分権が声高に叫ばれる中、根本から間違った考えも広がっている。

 

そもそも、地方創生と地方分権は、関連しているが、同じものではない。

 

中央集権的な国家から、地方に権利を委譲するのが地方分権であり、権利を会得した地方が、自分たちの良さを生かすことによって、新しく創るのが地方創生ではないだろうか。

 

そもそも、分権の時代に、行政が主体になっているのでは、なんの意味もない。

 

集権体制が、国から地方に移っただけで、地方自治体集権になったに過ぎない。では、何が正解なのだろうか。

 

市民分権ではないだろうか。

 

熟成した国家において、市民に権利を委譲することが、本当の良さを見出せるのではないだろうか。そのいい例が、NPOへの1%寄付である。

 

地方によっては、投票によって選ばれたNPOへ一部税収を支援する制度などがある。行政とは、鎖国知見の中にいることが多い。

 

優秀な職員が多いのは言うまでもないが、必ずしも、市民の立場に立った運営ができているかというと、全てがそうとは言い切れない。では、職員の見識に問題があるのだろうか。一番の問題は、市民にある。市民こそ、行政の失敗の帰責先なのである。

 

そもそも、地方は、選挙によって選ばれた首長と、議員がいる。二元代表制なのである。本来であれば、市民の信託を受けた両者がけん制しあわなければならない。しかし、なれ合い議会であるところもある。

 

役所が出した案を右から左へ流してしまう議会が少なくないのである。

 

そんななれ合い議会ならばいらないが、無くすわけにはいかない。

行政を監視する機関として、議会は必要である。だが、それが機能しきれていない。だとすれば、機能していない議会に問題があるのだろうか?

 

ないことはないが、議会を監視する市民が不在なのが一番の問題である。市民は、自らの生活を委ねているのにも関わらず、任せっぱなし、関心を持たず、任期を終えさせてしまっている。

 

市民に関心がないままであれば、地方分権がなされても、地方創生などできるわけがない。地方自治体への権利分譲はできても、地方自治体の見分による創生しかできない。本当の地方創生など実施できるわけがない。

 

市民が率先して行動することこそが、本来の地方創生を行うことであり、地域の実情や特性に合った創生ができるはずなのである