【反論】偏差値40以下の大学は無くせ!について
偏差値40以下の大学は無くせ!っていうブログをみたんですが、
学力偏差値について考えてみようと思います。
今回は、学力偏差値40以下を50未満として考えてみます。
極端な例えばですが、入試の点数が100点~1000点まで20点刻みで想定してみると
n=46になるんですが、
学力偏差値40以下は23校になります。(50未満を含んでいます)
では、23校を消してみます。
するとn=23になるんですが、学力偏差値40以下は11校になります。(50未満を含んでいます)
じゃ、その11校を消すと、n=12になるわけですが、
学力偏差値40以下は6校になります。(50未満を含んでいます)
すると6校という形になり、3回の削除で40校も世の中から消えました。
学力偏差値だけをみると、どこかは50未満になっていくので、
私からすると意味を感じません。
大学が増えすぎているという議論も理解はできるのですが、
大学が増える世の中って、平和の象徴だとも思うんですよ。
戦時中だったら増えないと思いますし、
平和だから増えるという側面もあると思います。
「大学は高等教育機関」という土台となる理論から、
低学力偏差値=40以下を消せという考えにつながるそうなのですが、
3回の削除で87.0%も減少させる意味があるのかなと思ったりします。
そもそも、大学を減らせという意見を言う人って、学力偏差値50未満の大学行ったことあるのかなって思います。
私の卒業した千葉商科大学政策情報学部も学力偏差値が50未満なのですが、
倍率は1倍を超えてるんです。有名大学に比べればなんたることもないと思うのですが、合格できない人もいるということは、注視すべきなのではないかなと考えます。
そもそも政策情報学って何?
ってとこもあると思うのですが、その点は別の機会に預けるとして、、、、
私がこの大学を志望したのは、そもそも「偏差値に興味がない」というところから始まっているのですが、
センター試験って、高校の教材をどれだけ記憶したかという点の競争だと思っています。学力偏差値って、結局は記憶量の問題でしょう?
確かに、一生懸命勉強しているのは素晴らしいし、評価に値すると思います。
でも、私の周りにも、高偏差値の医学部や国公立の有名大学いっている友達に「偏差値40以下の大学を無くせ」って言われたことがありません。
(友達だからなのかな?)
最近、「大学なんて無駄だ」というソモソモ理論で批判されることがあるのですが、
その理論で批判してきた人の全員が最終学歴高卒でした。
私自身、高校3年生まで大学に行くつもりはなかったですし、当時は彼らと同意見でした。行くつもりがなかったというより、経済的に厳しかったというのが正確です。
なので、「経済的に行きたかったのに行けなかったの?」と訊くと、全員ではありませんが、「そうです」とこたえる人がいます。
要するに、学歴コンプレックスが大学批判につながっているのかなと。
でも、高偏差値の大学を叩くのは分が悪いから、低偏差値を叩いているのかなと感じました。
でも、プロになると高偏差値大学も叩き始めるんですよ。
プレジデントのデーターでも高偏差値の大卒が多いですが、
アンチ大学の人々からすると
「高卒(中卒)の方が成功してるんだ!」と言われたりするのです。
しかし、学歴で成功したのかというと、それも大きな疑問です。
学歴って、単なる資格証だと思うのです。
例えば、私は広島県のあるお好み焼き屋さんで
「広島焼き認定書」をいただいたことがあるのですが、正直、焼けないです。
ひっくり返したときに、キャベツをぶちまけてしまうのですが、、、
確かに、高偏差値の人は、たくさん記憶しているので、
ベースとなるものが多いとは思うのですが、大学はそういうところなのでしょうか。
ソモソモ、「高等教育」ってなんですか??
5教科の記憶量が高い人をいうわけですか?
それって、高校の延長線上にあるということですか?
大学は記憶(過去)というより、研究(創出・未来)なのかなと感じます。
卒業論文が必須の大学などは、過去を書き連ねるだけでは、レポートレベルになるかどうかも怪しいのではないかなと思います。知識という過去を集め、分析を重ね、オリジナリティのある発見がなければ、卒業論文はできないのではないかと思います。
データーを分析するなど、考察力がなければ、研究はできないと思っています。確かに、全く何も知らない状況では、分析もなにもないとは思うのですが、、、
しかし、擁護するとするならば、「高校卒業を一定の学力を携えた」という認識にし、勉強をしていない時間を「個性のある経験」と置き換えれば、高偏差値の学生とは違う発想力で、オリジナリティのある発見をできるのではないかなと思います。
もっといえば、偏差値で測れる範囲は限定的じゃないか!と思うのです。
偏差値という単一的な尺度で、上下を図るというのにオリジナリティがあるのでしょうか。
授業もまともに出ず、不貞行為ばかり繰り返す学生がいるならば、それは偏差値の高低に限らず淘汰すべきだと思いますが、偏差値という尺度だけで行うというのは、あまりにも雑な考えではないかなと思います。
そういった点を考えると、偏差値40以下の大学も大事!ということになると思います。
実際、市場原理で考えれば、低偏差値といわれる大学でも生徒がいる時点で、社会的必要性があるのではないかなと思います。その社会的必要性の中には、その大学の特性や大卒という学歴など、多岐にわたるものであることは言うまでもありません。
必要なければ、淘汰されるだけです。
必要ないという意見のバックボーンに学歴コンプレックスがあるならば、それはお門違いとしか言いようがありません。
もっといえば、高偏差値大学の生徒からすれば、「OUT OF 眼中」ということじゃないでしょうか。
まぁ、低偏差値の大学は、そもそも偏差値で戦ってないですよね。
新しい価値観で戦っているし、高偏差値の大学も偏差値以外の分野で戦っていませんか?
偏差値で高低をつける人しか、偏差値に興味がないのではないかなと感じます。
意識が高い学生などは興味があるでしょうけれども、、、
「低偏差値の大学があるから、日本の大学の評価が、、、」という人もいるとは思いますが。
THE世界大学ランキングをみてみると、評価基準が以下のようにあります。
- Teaching:教育-学習環境
- International Outlook:国際的な見通し-教授陣と学生の質
- Industry Income:産業へ与える利益-革新性
- Research:研究-ボリューム/収益性/評価
- Citations:論文の引用度合
hot-topic-news.com
QS世界大学ランキングでは、以下の基準だそうです。
- Academic Reputation(学界からの評判)40%
- Employer Reputation(企業からの評判)10%
- Faculty Student(教員あたりの学生数)20%
- International Faculty(外国人教員の割合)5%
- International Students(留学生の割合)5%
- Citations per Faculty(教員一人あたりの論文引用数)20%
QS世界大学ランキング2016-2017による、世界大学TOP100・アジア大学TOP20・国内大学TOP15 | HOTNEWS(ホットニュース)
学力偏差値の出し方の違いはあるにせよ、世界大学のランキングには学力偏差値って関係しているのかという疑問もあります。
THE世界大学ランキングに「International Outlook:国際的な見通し-教授陣と学生の質
」はあるけど。。。
しかも、東大、京大の順番で、日本はランクインしているんですがね。。。
で、でも、世界大学ランキングの評価基準はいっぱいあるんです!
多様性のある社会で、一つの基準じゃおかしいんじゃないかなと。
そんなに学力偏差値をあげたいなら、AIでも入学させればいいんじゃないでしょうか。
多様性のある学生がいる大学は、多様性のある大学になるんじゃないかなと思います。
一般に言うエリートしか合格してないけど、東大もAO入試いれたし、
日本で初めてAOを入れたのは慶應ですし。
AOを青田買いってバカにする人もいますけれども、
青田だって稲穂をつけるわけです。早いだけです。
むしろ、早い方が加工の仕方が無限大なのではないかなとも思います。
「低偏差値は屁理屈ばかり」って批判されるかもしれませんが、
私はそう思っています。
1文字学部(法・医・文等)→2文字学部(情報、環境、心理等)→4文字学部(政策情報、総合政策、環境情報等)、、、になったのも、社会の多様性を反映していると思うんです。
ならば、1文字学部の学力偏差値、2文字学部の複合性、4文字学部以降の多様性という役割別もあるのではないかなと思いますし、今時、一領域だけで収まる研究って限られていませんか?
一つの専門領域だけで、社会現象を理解しようとする方が難しいのではないかなと思います。理系はわかりませんが。
そういった時代ですから、私は学力偏差値40以下の大学は無くせ!に正面から反論してみました。
まだまだ勉強が足らないところがあると思いますので、謙虚に頑張りたいと思います。