研究は天下為公

研究記録を掲載します。転載には、コメントをください

地方創生は、行政がやることじゃない

地方創生や地方分権が声高に叫ばれる中、根本から間違った考えも広がっている。

 

そもそも、地方創生と地方分権は、関連しているが、同じものではない。

 

中央集権的な国家から、地方に権利を委譲するのが地方分権であり、権利を会得した地方が、自分たちの良さを生かすことによって、新しく創るのが地方創生ではないだろうか。

 

そもそも、分権の時代に、行政が主体になっているのでは、なんの意味もない。

 

集権体制が、国から地方に移っただけで、地方自治体集権になったに過ぎない。では、何が正解なのだろうか。

 

市民分権ではないだろうか。

 

熟成した国家において、市民に権利を委譲することが、本当の良さを見出せるのではないだろうか。そのいい例が、NPOへの1%寄付である。

 

地方によっては、投票によって選ばれたNPOへ一部税収を支援する制度などがある。行政とは、鎖国知見の中にいることが多い。

 

優秀な職員が多いのは言うまでもないが、必ずしも、市民の立場に立った運営ができているかというと、全てがそうとは言い切れない。では、職員の見識に問題があるのだろうか。一番の問題は、市民にある。市民こそ、行政の失敗の帰責先なのである。

 

そもそも、地方は、選挙によって選ばれた首長と、議員がいる。二元代表制なのである。本来であれば、市民の信託を受けた両者がけん制しあわなければならない。しかし、なれ合い議会であるところもある。

 

役所が出した案を右から左へ流してしまう議会が少なくないのである。

 

そんななれ合い議会ならばいらないが、無くすわけにはいかない。

行政を監視する機関として、議会は必要である。だが、それが機能しきれていない。だとすれば、機能していない議会に問題があるのだろうか?

 

ないことはないが、議会を監視する市民が不在なのが一番の問題である。市民は、自らの生活を委ねているのにも関わらず、任せっぱなし、関心を持たず、任期を終えさせてしまっている。

 

市民に関心がないままであれば、地方分権がなされても、地方創生などできるわけがない。地方自治体への権利分譲はできても、地方自治体の見分による創生しかできない。本当の地方創生など実施できるわけがない。

 

市民が率先して行動することこそが、本来の地方創生を行うことであり、地域の実情や特性に合った創生ができるはずなのである

リーダーの哲学(演説力)

私なりの「リーダー学」というか、「帝王学」を書き殴りますね。

 

リーダーとボスの違いは、よく言われますが、

上から目線で命令をするのがボス

同じ目線で、一緒に、または、率先して行動するのがリーダーみたいですね。

 

一見、ボスはダメみたいに見えますが、そんなことはないと思うんですね

ボスが重要な組織もあると思います。

組織論でもあると思うですが、優秀な部下がいる。あるいは、大規模な組織においては、ボスが必要だと思うんです。優秀な部下がいるのに、トップが率先してしまうと、部下を委縮させてしまったり、才能を刈ってしまう可能性があります。したがって、ボスは上にいた方がいいこともありそうです。

 

 逆に、発展途中にあったり、部下を育成中であれば、トップが率先しないと停滞状態を構築しますし、成熟なんてないと思うんですね。ですから、ボスとリーダーは使い分けないと、組織は成熟できませんし、成熟しても熟れて枯れてしまうと思うんです。調整がとても重要だよ思います。

 

この基本軸はあると思うのですが、トップに重要なのが、接待力。これは、内部の接待力も外部への接待力も同時に問われると思いますが、今回は、演説力について話を書きたいと思います。

 

何かと演説する機会が多くなるトップ。施政方針演説や挨拶など、話す場はたくさんあります。しかし、これ、一歩間違えると、組織を壊滅させてしまう危険なものなんですね。逆に、うまくいけば、組織を躍進できる最大の鼓舞になると思うんです。

 

では、演説の時に気を付けなければならないことはなんなのでしょうか?

 

演説の時に気を付ける五か条

  1. 聴衆のタイプを見分ける
  2. 話の大筋を決める
  3. 聴衆の反応をみての分岐点を用意
  4. 言葉遣い
  5. 変化をつける

1.聴衆のタイプを見分ける

まず、気を付けなければならないことが

「これ重要だから、みんなきくだろう」という王様タイプ

よく考えてください。今思えば、校長先生の話は素晴らしいと分かっても、当時はそう思わず、めんどくさくてたまらなかったですよね

大人になってもそれはあります。いくら肩書があろうと、実績があろうと、謙虚さを失ったら、誰もきいてくれませんし、そんなの独り言です。相手に伝えるためには、聴衆がどんなタイプなのかを考えます。成績のいい社員や高学歴な人たちだけなのか、はたまた、幼い子供なのか。聴衆をひとくくりにできなかったとしても、大まかに対象を探る必要がありますし、最大公約数を狙っていく必要があります。

 

2.話の大筋を決める

そもそも、アドリブなんてやめたほうがいいです。アドリブで、タジタジするのは聞き苦しいですし、見苦しいです。そんな人についていきたくありません。たとえ五分間であろうと、演説内容は考えていかなければいけません。

相手が誰であろうと、その時の演説が、語り継がれる可能性がありますし、どこへ広がるかわかりませんから、必ず練っていきましょう。

 

3.聴衆の反応をみての分岐点を用意

とはいえ、細部まで決めておくのは素人です。必ず、岐路を作りましょう。演説をしたとして、聴衆の反応が思ったような反応出なかった場合、はまっていない可能性があります。そのまま続けても退屈なだけですし、あまり効果はありません。

反応によって、「真面目な路線」「ジョークを交えた路線」「専門用語てんこ盛り路線」「かみ砕いた路線」など、いくつかは用意しておく必要があります。そうすることで、「いい演説だった」と思ってもらえるような演説になります。そのためにも、事前に練ることが必要になります。

4.言葉遣い

勘違いされている人が多いですが、かみ砕けばいいというものではありません。相手が大学生で、優秀な学生の集まりなのに、専門用語一つ使わないのは幼稚かもしれません。内容がふんだんででも、専門用語を使うことで説得力が増す場合があります。

逆に、高校生を対象にした演説で、専門用語をふんだんにすると、専門用語に気を取られ、話が入ってこないという事故が発生する可能性もあります。これは、会社でもそうですね。課長職以上の人にしか伝わらない話を新入社員にそのまましても伝わるわけがありません。その時はむしろ、自分の新入社員時代の話などをした方がいいかもしれません。言葉遣い、厳密には、言葉選びは慎重にしなければ、同じ話も伝わらないという事故が起きます。

 

5.変化をつける

どんなに内容がよくても、はまっていたとしても、こちらは一生懸命に話しますから、元気ですが、聞いてる方は座っていることが多いと思います。

座っているだけで、話を聞いているだけでは、飽きてしまうかもしれませんね。その時こそ、飽きさせない演説力が必要です。

別に、泣く演技をしろということではなく、抑揚をつけることが必要です。この文章をここまで読んでみて、少し目がちかちかしたり、飽きたりしてませんか?

そうだとしたら、仕方ありません。なぜなら、まったく文章に変化がないからです。文字を大きくしたり、色を付けたりという工夫を一切していません。飽きても当然だといえます。演説でもそうです。身振り手振りをつけたり、間をあけたり、声を大きくしたり、小さくしたり、変化をつけなければ、お経です。

お経って、ありがたい教えが書いてあるのに、一定の声で読まれるから、じっくりきこうとしたら眠くなる人がいるかもしれません。(罰当たりですね)

変化をつけ、エンターテインメント性を担保した演説が必要です。

 

  • 演説はエンターテインメント

結局、演説なんてエンターテインメントです。

演説なんてきかず、本を読んだ方が確実だし、自分のペースで進められます。

それを話にするわけですから、本では味わえない要素が必要です。

そして、本もある程度のターゲットを絞っていますが、演説は、その場での修正が効きます。聴衆に完全フィットできる可能性が大いにあるのです。ですから、朗読会ではいけないのです。内容は崇高でも、エンターテインメント性をもって、笑う楽しみより、興味深い楽しみ方をさせることが重要ですね。

 

ちなみに僕は、誕生花の花言葉を使ったりします。

そこから展開したり、時事問題などを扱うことで、豆知識の披露による知識の広さや時間的新鮮さを与え、引き込みやすくなります。といっても、聴衆によっては使いませんがね。

 

 

コーイチ脱退後の超特急

 

  • 超特急ってなに?

 

 

平成30年1月16日 急遽脱退を発表したスターダストグループ所属の超特急 コーイチ

コーイチの脱退は16日、オフィシャルホームページで発表。「超特急メンバーのコーイチが、グループを脱退することをご報告をさせていただきます」とコーイチのグループ脱退を伝え、その理由を「今後の活動について本人と話し合いを行い、熟慮を重ねた結果、グループ活動においての方向性の違いにより、超特急のメンバーとしての活動に終止符を打つ判断に至った次第です」とした。

引用

mdpr.jp

 

超特急といえば、メインボーカル5人とバックボーカル2人で発足したグループです。

カイ

生年月日
1994年9月27日
担当
MAIN DANCER/神秘担当
出身
神奈川県

リョウガ

生年月日
1994年10月23日
担当
MAIN DANCER/ガリガリ担当
出身地
神奈川県

タクヤ

生年月日
1994年11月24日
担当
MAIN DANCER/筋肉担当
出身地
東京都

ユーキ

生年月日
1995年1月2日
担当
MAIN DANCER/ドジっ子担当
出身地
徳島県

ユースケ

生年月日
1995年12月24日
担当
MAIN DANCER/元気担当
出身地
神奈川県

タカシ

生年月日
1996年9月23日
担当
BACK VOCAL/

引用

STARDUST - スターダスト音楽出版 - 超特急のプロフィール

 

一人一人が1号車から7号車まで振られ、ファンの事を8号車という愛称で呼んでいます。

一号車のコーイチ脱退後、永久欠番のようになったのですが、脱退後の新曲が発表されました。

 

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バックボーカルで末っ子担当のタカシさんですが、ボーカル力は劣るところがないですね。

 

素晴らしいボーカル力なのですが、

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超特急の魅力は、大きく二つだと思います。

一つは、メインダンサーを抱えていますから、ダンス力

二つ目は、バックボーカルのコーイチとタカシの 歌唱力

 

ダンス力は、衰えていないのかもしれませんが、今回のMV、ダンスの量が減りましたね…

歌の部分も、タカシ一人になって気づきましたが、コーイチとのコンビネーションがすごかったんですね。

 

  • コーイチの歌唱力

コーイチは、吉野晃一として、YouTubeの番組を開設していました。超特急として活躍していながら、ソロでも活動していたんですね。

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4つしか公開していませんが、歌唱力の高さがよくわかります。

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  • 歌唱力だけじゃない!

超特急として、お笑いコントもしているんですが、

笑いのセンスも抜群なんです!

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もちろん、超特急としてコントしているんですが、際立ってますね!

そんな才能があるコーイチの脱退は、ファンにとどまらず、メンバーにもショックを与えていました。

 

 

  • メンバーの友情と困惑

コーイチが脱退することを発表し、メンバー各々がコメントをブログにて発表しました。

 

まず最初にブログを書いたのは、リーダーでガリガリ担当の三号車 リョウガでした。

突然のお知らせになってしまいましたが
この度1号車コーイチが脱退することになりました。
 
超特急のリーダーとしての気持ちは公式HP、FCサイトに記載されている通りです。
 
 
この発表があり、様々な想い、考えが各所で飛び交っていると思います。
その飛び交っているものは全て個人の予想なわけで真実かどうかは僕達にしかわかりません
 
 
 
 
今までのように、これから何が起こるか誰にもわかりません。
 
ですが余程の事がない限り、僕達6人は諦めません。
自分の為にも、共に走って行く8号車の為にも。
 
僕達超特急は進み続けます。
 
 
今年も、これからも、超特急をよろしくお願いいたします。
 

力強いメッセージと同時に、多くの憶測を払しょくし、けん制するリーダーぶりは、大人のふるまいですね。

 

 
 今、この状況で、すべき事と出来る事は何なのか。
 
立ち止まっている暇はありません。
 
 
6人と8号車体制になってしまう事、コーイチが脱退してしまう事に対しての8号車の色々な気持ち。
 
僕はそれらを全て受け止めます。
 
8号車の気持ちや行動の否定や要求は何もありません。
 
僕が8号車だったら下車する気持ちが痛いほどわかる。
それは仕方のないことの一つです。
 
 
なので、受け止めてくださる8号車達とこれから走っていきたい。

 

このコメントについては、少し混乱がうかがえます。

コーイチの脱退について、思いを抱くファンの離脱を理解しながら、止められない現実を踏まえています。つなぎ止めはしないといったネガティブな発信になってしまったかもしれません。

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では、その公式な発表はどうなっているのでしょうか。

2011年より超特急のバックボーカルとして活動を行ってきましたが、今後の活動について本人と話し合いを行い、熟慮を重ねた結果、グループ活動においての方向性の違いにより、超特急のメンバーとしての活動に終止符を打つ判断に至った次第です。

(中略)
この先、超特急とコーイチはそれぞれの道を歩むことになりますが、超特急は8号車の皆様との夢に向かって、活動を止めることなく、更なる挑戦と、夢へのレールを走っていきます。
(中略)

今後とも、超特急とコーイチの応援をよろしくお願い致します。

2018年1月16日
株式会社スターダスト音楽出版
超特急・スタッフ一同

-

超特急は、一号車から八号車合わせて超特急で、この七人で八号車の皆を夢の東京ドームまで連れて行くと今まで言ってきました。
にも関わらずこのような突然の報告を八号車の皆様に伝える事になり非常に心が痛いです。

ずっとこのメンバーで走って行きたかった。ですが本当にどうしようもなかった。
八号車のことを想うと本当に胸が痛くて、申し訳ない気持ちで心が張り裂けそうになります。

脱退するメンバーが出るのは望んでいないことだと思います。
八号車の皆が六人になった超特急に色んな気持ちが出てくることを十分理解出来ます。
ですが、コーイチのためにも、六人のためにも、止むを得ずこの選択をしたという状況だというのをどうか理解していただけたらと思います。

六人と八号車になった僕たち超特急は以前と変わらず夢の東京ドームを目指して走って行きます。
コーイチの想いも乗せてこれからも走って行きたい。だから八号車の皆には脱退するコーイチも、六人になる超特急も、応援していただき支えてくださったら嬉しいです。

これからも超特急をどうかよろしくお願いいたします。

2018年1月16日
超特急 リーダー リョウガ

 

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スターダスト全体としては、コーイチが退社したわけではないですが、超特急からは脱退したわけですから、少し論調が異なるのはおかしなことではないですね。

「東京ドーム」へ7人で連れて行くという公約が果たせなくなったわけですが、グループは存続することから、人数は変わったものの、目標自体に変更はないということですね。

 

  • カイ

次に、神秘担当の2号車 カイを紹介します。
本文は、かなり改行が多く、感情がのっている気がします。今回は、改行を無くさせてもらいました。臨場感を感じたい方は、リンクから飛んでみてください。
7人と8号車
その居場所を守れなくてごめんなさ
本当にごめんなさい
(中略)
 
止まるつもりはないし、
終わるつもりなんてさらさらありません。
今できることは、
(中略)
 
7人の過去をなかったことにしないこと
そして
6人の形をみせること。
正直なところ
7=100%
だと思っている人、
6人では100%に到底及ばないと思っている人がほとんどだと思っています
それは否定できないし、否定するつもりもありません
だけど今6人がしなければならないことは
6人での100%
もしくは100%以上のものを完成させて
8号車を必ず幸せにすることだと思います
約束します
(中略)
 
俺には前しか見えていないし、
超特急をやめることは絶対にないです
超特急がなくなる日まで超特急のカイです
6人で進んでいきます。
だから安心してくださいね😊
脱退するコーイチのことも、
皆さま応援してくださいね
8号車はあたたかい人たちばかりだから
俺が言わなくてもそうすると思うから安心してるけどね☺️
(中略)
 
 
長くなりましたが、
超特急はこの先も進んでいきます!
だから、
今まで以上に手を取り合って進んでいきたいな
タカシのことは5人とスタッフで
全力でサポートするから心配しないでね。
それでは、
明日からも超特急をよろしくね^^
 
カイ

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 まずお詫びから入るところ、超特急には、素晴らしい人格者しかいないのでしょうか?

コーイチの脱退をなかったことにせず、向き合おうというところに誠意を感じますね。コーイチの応援をお願いし、言わなくても大丈夫だろうというところにファンへの配慮を感じます。

また、コーイチの脱退を機に、ドミノ式での脱退への不安も払しょくしています。そして最後に、末っ子担当で、唯一のボーカルとなったタカシへの配慮にも大人な感じを感じます。

 

次に、筋肉担当の4号車 タクヤです。

ごめんなさい
昨日発表がありましたが
新年早々このような形になってしまいごめんなさい
年末年始のアリーナツアーも無事に終わり
2018年に向けて
良いスタートを切りたかった
応援してくれている
8号車を裏切る事になってしまいました
本当にごめんなさい。
コーイチとはプライベートから一緒に支え合ってきました
こんな事になるとは思ってもいなかったけど
どうしようもなかったです
(中略)
これを機に僕はもちろん、メンバーも
新たに気を引き締めていきます
この6人でやっていきます
これからも超特急とコーイチの応援を
よろしくお願いします。

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タクヤは、クールなタイプなので、ここまで感情を吐露するのは珍しいかもしれません。でも、吐露したくなるほどのことであったことがよくわかります。

 

  • ユーキ

次に、初代リーダーで、ドジっ子担当の5号車 ユーキです。

ユーキです。
「コーイチの脱退」
突然のお知らせになってしまったのが
(中略)
リーダーも言っていた通り
発表がこのタイミングになるのも意味と理由が
あると思います。
超特急は7人で8号車のみんなと
一生僕はやっていくと思っていました。
全てをかけていました。
だから受け止めるのに気持ちの整理が
全くつかなかったのが本音です。
ここからは僕個人として
コーイチは結成当時から気持ちの熱い部分が重なっていつの間にか自然と心の友のような存在でした。
目に見える誰が1番とかじゃなくて
より思いや情熱、0を1に1を10に
自分自身だけじゃなくて、超特急のことも
とにかくたくさん考えてました。
僕自身もたくさんコーイチに助けられた。
でもこれからは別の道を歩きます!
歩くんです。
自分の人生どうするかは自分次第。
一度きりの人生やりたいことを全力でやるのが一番だと思います。
(中略)
綺麗事に聞こえるかもしれない。
でも夢や目標って1人じゃなくて
周りにそれを支えてくれる人がいるから
それが成し遂げられる。
(中略)
今の僕たちに一番大切なのは外面よりも内面。
軸をしっかりつくってどんな逆境も耐え抜くグループになっていきたいです。
(中略)
1人のボーカルのタカシ
5人のダンサーのカイ・リョウガタクヤ・ユーキ ・ユースケ
タカシは背負うものがとても大きくなると思うし
ダンサーもとてもパフォーマンスが大きく変わる思います。
でもこんな時こそチャンスと思えるくらい
大きな一歩を踏み出せるのように
頑張っていきたいです!
超特急の姿を証明していきたいです!!
いろんな心配があると思います。
いろんな思いがあると思います。
でも僕はその思いをライブで全て
払拭したいと思います!
僕たち超特急が表現する場所はいつだって
8号車のいるステージの上だから
心の底からWe Are Happy♪
See Yuki
初心に戻りまた一から
言葉足らずでごめんなさい。

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発表のタイミングに意味と理由がある…どういうことなんでしょうか?

よくわかりませんが、思いを寄せあった二人だからこそわかるものがあるんですかね?

ドジっ子担当のユーキだけあって、色々抜けているところがありまして、それも愛嬌なんですが、文章中からもうかがえますね

自分の人生どうするかは自分次第。
一度きりの人生やりたいことを全力でやるのが一番だと思います。

といって、コーイチの事を応援しているようで、


でも夢や目標って1人じゃなくて
周りにそれを支えてくれる人がいるから
それが成し遂げられる。

ええー、一人でやってくかもしれないコーイチの目標はどうなるの!?

一人じゃ無理ってことですか!?

って感じですが、きっと、そういう意図じゃないと思うんですね。

「一人で力まないで、俺たちがついてるよ」っていう応援なのかな(-_-;)

きっとそうですねよね。何より、自分たちのことを言ってるんだと思うんですね。自分たちが、支えの中でやってこれたということを言ってるんだと思いますが、

言葉足らずでごめんなさい。

ってあるんで、見逃してあげましょう(^▽^)/

 

  • ユースケ

次は、元気担当で6号車のユースケです。

僕の今の精一杯をここに表しています
(中略)
コーイチの脱退
僕の本音の本音を言うと
心にすっかり穴が空いた
仕事場では元気に元気と、自分に言い聞かせてやってきたが
いざ現実に戻ると、とても悲しくて
心にすっかり空いた穴も
きっともう埋められないかもしれない
(中略)
コーイチという人に出会えて僕の人生や考え方が変わった
何より支えられた7年であり、コーイチの存在は僕にとっては大黒柱
そう、本当の僕の父さんみたいだった
今ではコーイチのお陰で本当に強くなれたと思ってるしコーイチが教えてくれた事 伝えてくれた事、僕は絶対に忘れない
(中略)
どうしようもないくらい大好きなんだよ
別の道を歩いても
8号車もみんなコーイチの事大好きだから
そうでしょ?8号車
コーイチにはそれだけは覚えといてほしいんだ
(中略)
夢のドームは近いと思うんだ
僕達なら行けると思うんだ
絶対に行けるんだ
だから諦められない
本当に諦められないんだ
(中略)
みんなで一緒に叶えたいです
そして希望を持って超特急をやりたいです!!
これが僕の今の精一杯

 

ユースケ

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ユースケは元気担当で、空回りしていることも多々あるのですが、落ち込んだ姿は見せない人なんです。なので、最後は元気さが出ていますが、悲しみを示しているなんて珍しいんですね。

脱退したコーイチは、お父さん担当。最年長だったのですが、本当にお父さんだったんですね。心の支えであり、成長の道しるべだった様子がうかがえます。

 

  • タカシ

そして、末っ子担当で7号車のタカシです。

タカシです
(中略)
この事をブログに書いたら自分も現実を受け止めてしまう事になってしまうんじゃないかと思ったりもしましたが、
皆様にもしっかりお話しておきたいなと思い書かせて頂いています。
正直様々な場所で「コーイチ 脱退」
という文字を見るだけで胸がえぐられる様な気持ちになります
(中略)
正直悔しいです不安です
ですが、今回の件でなにより8号車の皆様が不安になっていると思います。
(中略)
守れなくて本当にすみません
ですが僕達はこれからも絶対諦めません
6人体制になっても東京ドームの夢は変わらないし、皆様に最高の景色をみせたいと言う気持ちに偽りはないです。
(中略)
コーイチには沢山の事を学ばせてもらいました。
背中を押してもらうことも山ほどありました。
コーイチとは、
ずっと一緒に関西から通って…
ずっと一緒に居た…
それだけに沢山の思いが込みあげてくる。
俺はずっとコーイチの事を兄ちゃんやと思って尊敬してたし、これからもすると思う。
だからこそ、絶対に無駄にしたくないですし、今まで以上の自分を見つけていけたらなという気持ちです。
一人でも「僕は超特急のボーカルです‼︎」
と胸を張って出ていける様に、皆に会うまでに鍛えていこうと思っています。
ただ本音を言うともう一度超特急として2人でうたいたかった
(中略)
コーイチ、俺もっと成長するから
絶対びっくりさせるから。
「タカシー!お前成長したなー!」
って言ってあひゃひゃひゃって笑って
そう言ってもらえるように
笑ってもらえるように頑張る。
みてくれてると嬉しいな
お互い頑張って行こうな👍
ブログを通して私情も挟んでしまいすみません。
ただ明日からは、超特急のバックボーカルとしてしっかりと前をみて走っていきたいなと思っています。
振り向くのは、もうやめます
待ってくれている沢山の8号車の為にも
これからも超特急とコーイチの応援をよろしくお願い致します。

 

超特急 タカシ

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コーイチは奈良、タカシは大阪で、二人だけ近畿地方だったんですね。なので、かなり思い入れが多いようです。最年長者のコーイチと、最年少者のタカシ。二人だけのボーカルだったことも色々あったようです。

今回の記事を読んで、タカシらしいなと思ったところがあります

それは、 「ぶれるやないか!」

というところですね。

 

末っ子担当なのに、最長身になっちゃうし…まぁ、これはタカシに罪はないんですが、

コーイチを「お兄ちゃん」といってしまうところ…

「お父さんや無かったんかい!」

まぁ、それほど身近に感じていたということですね。

責めるべきところではないですが、ついついつっこみたくなってしまいます。でも、タカシらしさが出ているかわいいところかもしれません。

 

そして、注目したいところが、

 

超特急 タカシ

”超特急” タカシ」と書いているんですね。

超特急をあえて書いているところに、タカシの強い思いを感じられますね。

 

  • コーイチ 最後のブログ

メンバーたちの想いを紹介させていただきましたが、当の本人はどうなのでしょうか?

では最後にご紹介します。

お父さん担当で、1号車のコーイチです。

自分の想いを、仲間を信じて。
たくさんの人と考えて、行動をしてきた。
未来をみるために。
僕らしかできないことで、みんなを笑顔にするために。
僕は、超特急と生きてきた。
超特急はほんとに素敵なグループです。
メンバーもほんとに最高におもしろい。
8号車のペンライトが、僕をいつも励ましてくれた。
支えてくれたメンバーとスタッフと8号車には感謝しかない。
夢の東京ドーム、7人で、8号車を連れて行きたかった。
楽しかった。
ほんとに楽しかった。
大変なこともあったけど、ほんとに楽しかった。
幸せだった。
6人と8号車と一緒に過ごした時間、見てきた景色、感じてきたこと。
それは、1人じゃ見れなかった世界。
大事な大事な宝物です。
じゃあ、なぜ?って思うよね。
ひとことでは言えない。
でも、言ってみると、
超特急が大好きで、突き詰め過ぎたから。「僕の超特急」と「現実の超特急」が、ズレてしまったから。
「脱退発表」から今日まで、僕の言葉で伝えることができなくてごめん。
僕から何を言えばいいのかなって、超特急と過ごした日々を思い返しながら、すごく、すごく考えた。
まだ、受け止めきれていない8号車がたくさんいると思う。
「ふざけんなよ」と、思う人もいると思う。
「嘘つき」だと思う人もいると思う。
「考え直して欲しい」という人もいると思う。
僕も、実感するのはもっと先だと思う。
胸張ってみんなにまた会えるように、一日一日を大事に生きていきます。
最後に。
ありがとう。

lineblog.me

 

コーイチのだけは、ノーカットでお送りします。

空行は省略しましたが、これが思いですね。もう何も語る必要はないかもしれません。

ユーキも書いていましたが、熱い男なんですね。熱い男だからこそ、理想とする超特急(アーティスト像)に乖離がうまれてしまったのかもしれません。

ここで感じるが、この決断に、一番勇気を持ち、一番怖かったのは、コーイチ自身だったかもしれません。抜けるのはコーイチです。いつの時代も、少数派って、批判の対象になりやすいんですね。これからソロでやるのかはわかりませんが、ソロでやるとして、脱退をしてからの社会の反応は、手厳しいことがあるかもしれません。かといって、もう後戻りはできない。こんなことはわかっていると思います。

ファンの想いとしては、戻ってきてほしいということがあるかもしれませんが、そんなことをする男じゃないと思います。しっかりと筋を通す男だと思いますし、そう決めて、脱退を決断したんだと思うんですね。

 

文章も変に長くない。潔いですね、男だと。漢だと感じさせますね。

 

 

  • 総括

僕が超特急を知ったのは、数か月前ですが、感動したのを覚えています。

歌唱力もダンス力も素晴らしい。ダンスで感動したのは初めてでしたし、そのダンスを際立たせたのは、歌唱力だと思うんですね。

その素晴らしいコンビネーションから、貴重な歌唱力が減るというのはさみしいところがありますが、それでもいいかなと思うところがあります。だって、誰も憎しみ会ってないんですから。むしろ、好敵手が増えたというか、ライバルが増えたというか、お互いの向上心を刺激しあえる人ができたというような感じがしますね。

 

コーイチが、今後そのような活動をするかわかりませんが、応援し続けたいですね!

 

 

私だって家事をする

ほんとね、おかしいっすわ
 
今、母が忙しくて、家事が難しいことがあるのですが、
 
最初のころは、僕が炊事をしたりして、弟が皿洗いをしているんです。
 
弟の皿洗いは、続いていて
豪州に留学してから、家事についての考えが変わったようなのです。
 
僕は、たまにご飯を炊くぐらいになったんですが、
まわりから、「お母さんのありがたみがわかったでしょ?」
 
って言われるようになったんですが、
おかしいっすわ
 
よく聞いてほしい。
僕は小学生のころには、炊飯ができたし、ご飯も何品かなら作れるし、
 
高校生の時から、自分の洗濯物は自分でやってるし
 
自分に関係する家事の大半はできて、ある程度はしていて、
自分以外の家族向けの家事が増えたんですよ
 
そもそも、男=家事をしない という考え方が古い
 
草食系男子って言葉は、男がか弱いという意味ではなくて、
言葉をつくった人は、「家事もろくにできないくせに、グダグダ述べるおっさんと違って、家庭的な優しい男子」って意味で、若者を擁護する意味合いで作った言葉で、若者を擁護した言葉であって、私だってしますよ。
 
下手をすれば、僕の方が衣料用洗剤、漂白剤、柔軟剤に詳しいと思います。
 
シンクも素手で、隅々まで洗うし
水垢さえも残さないぐらいやります。
 
私が、何も家事をやらない
男が、何も家事をやらないという決めつけだけは、勘弁していただきたい
 『2006年10月にできた「草食男子」。そもそもは、「団塊の世代やバブル世代と比べても、フラットで付き合いやすい」という、ポジティブな意味でした。』(URLから引用)

 

 
 
 

終電を乗り間違えて5時間歩いて、不良の孫氏の兵法にあった件

いい年して、終電を乗り間違えてしまいました。

 

緊急停止ボタンが押されたために、降りたホームが変わったのに気づかず、

いつも通り目の前の電車に乗ったところ、違う方向の電車に乗ってしまい、

5時間歩くことになってしまいました。

 

タクシーに乗れば、自宅まで38分。しかし、7000円以上かかるという試算。

歩けば5時間ほどかかるが、無料。

電車で行けば400円で30分ほどだったのに・・・

 

その選択肢の中で、翌日の予定もあったので、徒歩で帰ることを決断。

カラオケに泊まろうとも思ったのですが、フリータイムは二人から。

一人で入ると、1時間いくらという形で料金がかかるため、泊まるのは不可能と感じました。

 

「若いし、いけるだろう」と思い、5時間歩いたのですが、

 

         若さは関係ない

 

つらいことはつらかったです。

最後は、もう気合で歩きました。翌日、左足だけを痛めました。

左利きなので、無意識に重心を傾けていたのかもしれません。

 

真夜中を5時間歩くと、いろいろなことがありまして、

夜中の交通量を感覚的に調べられたり、いつもは車で通りすぎる町並みをゆっくりみれたりと、非常に勉強になりました。

 

不良に絡まれるというアクシデントもありました。

絡まれるといっても、信号待ちの車から罵声を浴びせられる程度でした。

 

どういう心理なんでしょうか。

赤の他人を馬鹿にする発言をして、仲間内で笑う。

相手に聞こえる声で。

私は「?」という感情しかわかなかったのですが、特にそれ以上の感情はわきませんでした。

 

赤の他人を馬鹿にすることで、仲間同士の価値観を再確認しているのでしょうか?

「俺はあの人をこういう風に見ていいる」という感覚を言葉にすることで、仲間に伝え、

それを仲間も笑うという形で反応し、「お前と一緒である」と伝える。

 

その相互発信によって、共同体意識を固めるという心理なのかなと感じました。

 

私はコンビニのベンチで、座っていただけなのですが、

その私に対して関心があったと解釈するとするならば、他人への関心が少なからずあるのかもしれません。

 

悪口ならば、静かに車の中で行っていればいいものを、窓を開けて、聞こえる形でいうというところを考えると、私に対しての威圧行為を行うことで、対外的な自分の地位確立を行うと同時に、仲間内での対内的な地位確立を行っている。

 

      「俺は強いんだぞ」

 

ということなのでしょうか。

私は無反応でいたのですが、それは彼らの心理にとってどのような影響を与えたのでしょうか。

そもそも、反応があることを想定していなかった可能性があります。

私が仮に、「なんだお前!喧嘩売ってるのか」と、好戦的な反応をした場合、自己顕示を行っていた彼らからすると、対内外的に自分の地位確立を行っていたのにも関わらず、その確率が脅かされる可能性が出てきたことによる恐怖心を基盤とした防衛本能が発動する。または、下等にみていた相手からの反応にプライドを傷つけられ、「思い知らせる」という攻撃本能が発動するのか。

ただ、ここで一つ、条件が発動します。

 

彼らの罵声は「ヤンキーだ!ヤンキー(笑)」というワードに限られていたということです。

 

車から、ベンチに座っている他人に罵声を浴びせている時点で、自分たちの地位を再確認していた可能性があり、冗談まがいにいっていたことから、私が近づいた瞬間に、

「ヤンキーこえー」といって、逃げることも可能になります。

 

仮に、見た目を批判する言葉を浴びせていたり、恫喝する言葉を浴びせていた場合は、前述のような防衛・攻撃本能が発動していた可能性はありますが、今回は馬鹿にしていたという点です。

 

言われた私からすれば、事実と異なり、挑発行為ともとられる今回の行為は、不愉快といわざるを得ません。しかし、彼らの発言は、自分を下等に置いており、相手が反応してきても、上等な立場の者が、下等な自分たちに反応してきているため、逃げても当然の行為として解釈でき、本能を発揮せずにいても否定されることはありませんし、この件が周知されても、笑い話として片づけることができるのです。

 

しかし、言われた本人は、言われたことによる心理的ダメージがあり、逃げられた時点で、敗北が確定するという完全に負けゲーム。

 

彼らは孫氏の兵法である

 

     戦わずして勝つ

 

を実施していたのです。

逃げたら勝ち。逃げなくても勝ち。私が逆転することは不可能でした。

 

と、言いたいところなのですが、

引き分けにもっていくことはできました。

 

それは、圧倒的なパフォーマンスを見せつけることです。

私はできないのですが、ヘッドスピン等の技術力があったとすれば、

それを見せつけることで、彼らより上等な技術をもつ人間だということを表明でき、彼らを名実ともに下等に置くことができたのではないでしょうか。

 

その場合、彼らは楽しんで帰ることもできます。しかし、それは楽しんで帰るという感情で終われることではありません。

 

彼らが設定した状況を維持しながら、決定権をこちらが握ることになるのです。

こちらが設定した上下等の設定を提示し、確立することができます。

 

彼らは、その経験を周知したとしても、「すごい人に出会った」という反発意識がない形でそれを受け入れることになり、こちらは上等意識の中で終わりを告げることができるのです。一見、勝利に見えるのですが、これは覆し、マイナスをゼロに直したにすぎず、逆転勝利とは言い難い状況があります。

 

まぁ、それを実施できなかったため、私の完敗ではあるのですが、

今の不良は、無意識的であるとは思うのですが、孫氏の兵法を使っているのかなと感じました。

 

ビーパップハイスクールのような、ゴリゴリのヤンキーとは違い、

腕っぷしによる上下を付ける時代から、心理戦の時代に移行してきたのかと

 

私のイメージではあるのですが、昭和の不良は、長ランの番長を中心とした組織構造だったと思いますが、今は、普通の学ランに色のついたTシャツを着たり、ネクタイを緩めたりすることで、おしゃれ意識の強い不良が多くみられる気がします。

 

昭和の不良からすれば、心理戦は「シャバイ」のかもしれませんが、

今は普通なのかもしれません。むしろ、武闘派から知能派も兼ね始めたという進化があるのかもしれません。

 

データまでは持ってきませんが、少年犯罪も知能犯罪が増えていた気がします。

 

無意識のうちに孫氏の兵法を実行できる彼らは、

もしかしたら、非常に有能な人材なのかもしれません。

 

その彼らが活躍できる社会を創生していく方法を考察する必要もあるのかもしれません

 

 

追伸

あまり気にしていないように見せて、ブログに書いてしまうところが、

相当悔しかったという自分の深層心理を表出しているような気がします。

瞑想して落ち着こうと思いますが、不良の社会学も面白いかもしれません

【反論】集団的自衛権は違憲であるという理論

一昨年、安全保障関連法案が通りまして

 

集団的自衛権違憲だと騒がれているわけですが

 

違憲かどうかなんて、専門的に誰が判断するのかと思うわけです。

安保法案を戦争法案と罵って、反対する学者の会とかもできていますが、

先生方、本当に違憲なんでしょうか?

 

違憲だという国会議員の意見をみてみると、

「〇〇法制局長官が~」という攻撃手法が多いですが、

法制局長官って、結局、行政の人間でしょ?

 

三権分立しってますか?

 

司法が法的にどうかを判断すべきですが、その司法でも憲法裁判所ってないじゃないですか。

 

日本は付随的違憲審査制が採用されているわけですが、

こちらは憲法違反の法令によって個人の権利が侵害されないようにすることに重点が置かれているわけですよ。(私権保障型)

 

もし、法令が憲法違反だというならば、憲法裁判所を設置すべきではないですか?

 

憲法裁判所を設置するならば、憲法に書き込まなければならないわけですから、

改憲というか、加憲をする必要があるわけですよね。

 

まぁ、加憲は公明党が使っている言葉で、

おそらく、改憲=安保法案というレッテル張りからかい離するための言葉遊びだと思ってますけれども。

 

立法府違憲かどうか、行政府の職員の意見だけで判断していいのかと考えるのです。

 

そんなに問題なら、抽象的な憲法九条を変えたらいかがですか?

しかし、変えるということは、集団的自衛権の可能性を完全払拭できなくなります。

 

国際司法裁判所での領土問題でもそうですが、

裁判に合意するということは、領土問題だと認めることになりかねないということであり、合意しないという例が竹島であるわけですが、

 

日本国民はそんなケチケチしたことは言わないと思うんですよね。

反対な人は反対なわけですから、九条に「集団的自衛権の行使は、これを一切認めない」と明記すればいいだけの話じゃないですか。

 

でも、個別的自衛権は合憲なんですかね?

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国連憲章第五十一条

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

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というところから、国家固有の権利として個別的自衛権が認められているわけですが、

九条に明記されていないわけです。

 

私は、集団的自衛権違憲論が沸き上がるたびに、個別的自衛権の合憲性も議論されていると思うんですよ

 

個別的自衛権が必要だという人は、「攻められたらどうするんだ!」ということをいうわけです。つまり、日本が標的になる可能性を危惧しているわけです。その場合、来たものを追い返すだけだと思っている人は間違っています。

 

平成25年に敵基地攻撃能力を間接的に認める閣議決定がされてるわけですよ。

つまり、敵の航空基地とかを空爆することを決めているわけですよ。

www.sankei.com

 

集団的自衛権の批判されている点を考えてみると、

①外国(具体的に米国)の戦争に巻き込まれる

②とにかく戦争は嫌だ!

 

っていうところだと思うのですが、

①をみるならば、日米安保はやめた方がいいと思うんですよね

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日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約【第五条】

 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言{宜はママ}する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

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集団的自衛権を認めていない日本のままだと、在日米軍が軍事攻撃を受けた際に、

日本が攻撃を受けたと判断されるかが議論となり、その間に流れ弾等の被害に日本国民がさらされる危険性があるわけですよ。

 

仮に、在日米軍基地の被弾により発生した火災で、日本人の所有する建造物が延焼した場合、これは火災とみるのか戦災とみるのか、そんな議論に至ったりしませんか?

 

だって、米軍基地は治外法権で、施政下とは言い難いわけですから。

 

これは実質的な米軍の一方的な庇護下にあたる箇所であり、

おんぶにだっこ条約なわけですよね

 

そういったこともあり、集団的自衛権を認めることは

庇護下からの自立につながるわけですよ。

 

②の感情論ですが、これこそ愚の骨頂だと思ってるのですが、

個別的自衛権がお守りか何かだと思っているのかわかりませんが、

外国に上陸しないだけで、個別的自衛権も戦争っちゃ戦争だと思うんですよね。

 

個別的自衛権なら、敵兵をころさないで済むとお思いですか?

「安心せい、みねうちじゃ」ってことにはならないですよ。

航空機が来れば撃ち落とすわけですし、艦船が来れば沈めますし、

上陸されれば殺傷するわけですよね。

 

何もしないんだったら、自衛隊は国家最大のミリタリー愛好会ですよ。

 

そんなわけはないわけで、殺傷能力は持ち合わせておいてもらわないと困るわけです。

 

「話し合えばいいじゃん」

という人もいますが、拳銃を持って自宅に押し掛けてきた人に、「話せばわかる」って言って済みますかと。犬養毅は無事に殺されたわけですよ。

 

そもそも、日本国というコミュニティ内で暴力を用いた犯罪への対応を行っているのに、どうしたら国際社会でそれができるのかと

 

「戦後70年以上」という理論はあるわけですが、

それは70年間のことで、今年何があるかわかりませんし、

竹島は韓国に占領される際、近海にいた漁師を拿捕して、射殺しているわけです。

 

決して平和な70年ではなく、問題を問題としてこなかっただけの70年じゃないですか。

 

そんな事実を無視して、平和な70年といえるのでしょうか。

私としては納得がいかないわけです。

 

別に集団的自衛権を認めなくても結構ですが、

自国だけで、自国の防衛をするならば、事実上の冷戦下にある日本では、

そうとうな重武装国家になるから、支出が大きくなるわけですよ。

 

それでは困るから、国際社会で集団的自衛権や集団安全保障を行っているわけじゃないですか。

 

それに、この70年間、極東アジアで暴れられる軍事大国かつ経済大国がなかっただけではないのでしょうか。

 

資源もメタンハイドレードが日本近海にあるという話も出てきて、そのうえで、地政学上で優秀な島国という特性もあるわけですから、必ずしも今の常識が通用するとは思えないわけです。

 

 

そういった点から、集団的自衛権容認は必要だと思うわけです。

ただ、解釈改憲がどうなのかとは私も思うわけですが、いい火付け役にはなったと思っています。

 

これを機に、集団的自衛権を認めるにしても、認めないにしても、

改憲を発議すべきではないかと考えます。

 

最終的には国民投票をするわけですから、国民主権を揺るがすことはないのです。

また、改憲することで軍国主義が再来して、侵略を行うという人がいますが、それも大きな間違えです。

 

少なくとも民主主義国家の日本で、法律で許されたから戦争を起こしまくるという考えは非常に乱暴で、行使するかを判断するのは政治家なわけです。国民が選んだ。

 

つまり、国民が正しい判断をすればいいわけです。

その国民は、目の前に刃物を見つけたら、ひたすら殺傷行為を行うかというと、日本人のモラルの高さを信じるばかりですが、私はあり得ないと思っています。

 

ですから、私は問題ないと思っています。

「話せばわかる」という性善説を主張するならば、武器を持とうと、むやみな殺生をしないという性善説を擁護すべきです。

 

日本人は性悪説で、外国人は性善説というのは、恐ろしい暴論だと批判せざる得ません。

 

かなり内容が脱線しましたが、違憲かどうかということは憲法裁判所の設置を持って判断すべきであり、国連憲章第51条にそった国家固有の権利であることから、個別的自衛権を否定しない限り、否定できないのではないでしょうか?

 

また、国際状況の変化を見れば、経済大国の日本が、経済で困窮し、まともな軍隊をもてない国家に軍事的支援を行うということは立派な国際貢献だと思います。

 

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国連憲章

 

第53条

  1. 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
  2. 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

第107条
この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない

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また、敵国条項といわれるものがありますが、これもいまだ残っています。

事実上の死文化といわれていますが、残っている以上は問題事項として考慮すべきです。

 

この文章を削除するためにも、国際貢献は必要であり、そのためにも国際貢献をいかなる方向で考察・施行していく必要性があるのではないかということを記して終わります。

 

【反論】偏差値40以下の大学は無くせ!について

偏差値40以下の大学は無くせ!っていうブログをみたんですが、

学力偏差値について考えてみようと思います。

 

今回は、学力偏差値40以下を50未満として考えてみます。

 

極端な例えばですが、入試の点数が100点~1000点まで20点刻みで想定してみると

n=46になるんですが、

学力偏差値40以下は23校になります。(50未満を含んでいます)

 

では、23校を消してみます。

するとn=23になるんですが、学力偏差値40以下は11校になります。(50未満を含んでいます)

 

じゃ、その11校を消すと、n=12になるわけですが、

学力偏差値40以下は6校になります。(50未満を含んでいます)

すると6校という形になり、3回の削除で40校も世の中から消えました。

 

学力偏差値だけをみると、どこかは50未満になっていくので、

私からすると意味を感じません。

 

大学が増えすぎているという議論も理解はできるのですが、

大学が増える世の中って、平和の象徴だとも思うんですよ。

 

戦時中だったら増えないと思いますし、

平和だから増えるという側面もあると思います。

 

「大学は高等教育機関」という土台となる理論から、

低学力偏差値=40以下を消せという考えにつながるそうなのですが、

 

3回の削除で87.0%も減少させる意味があるのかなと思ったりします。

そもそも、大学を減らせという意見を言う人って、学力偏差値50未満の大学行ったことあるのかなって思います。

 

 

私の卒業した千葉商科大学政策情報学部も学力偏差値が50未満なのですが、

倍率は1倍を超えてるんです。有名大学に比べればなんたることもないと思うのですが、合格できない人もいるということは、注視すべきなのではないかなと考えます。

 

そもそも政策情報学って何?

ってとこもあると思うのですが、その点は別の機会に預けるとして、、、、

 

私がこの大学を志望したのは、そもそも「偏差値に興味がない」というところから始まっているのですが、

 

センター試験って、高校の教材をどれだけ記憶したかという点の競争だと思っています。学力偏差値って、結局は記憶量の問題でしょう?

 

確かに、一生懸命勉強しているのは素晴らしいし、評価に値すると思います。

でも、私の周りにも、高偏差値の医学部や国公立の有名大学いっている友達に「偏差値40以下の大学を無くせ」って言われたことがありません。

 

(友達だからなのかな?)

 

最近、「大学なんて無駄だ」というソモソモ理論で批判されることがあるのですが、

その理論で批判してきた人の全員が最終学歴高卒でした。

 

私自身、高校3年生まで大学に行くつもりはなかったですし、当時は彼らと同意見でした。行くつもりがなかったというより、経済的に厳しかったというのが正確です。

 

なので、「経済的に行きたかったのに行けなかったの?」と訊くと、全員ではありませんが、「そうです」とこたえる人がいます。

 

要するに、学歴コンプレックスが大学批判につながっているのかなと。

でも、高偏差値の大学を叩くのは分が悪いから、低偏差値を叩いているのかなと感じました。

 

 でも、プロになると高偏差値大学も叩き始めるんですよ。

 

プレジデントのデーターでも高偏差値の大卒が多いですが、

president.jp

 

アンチ大学の人々からすると

「高卒(中卒)の方が成功してるんだ!」と言われたりするのです。

 

しかし、学歴で成功したのかというと、それも大きな疑問です。

学歴って、単なる資格証だと思うのです。

 

例えば、私は広島県のあるお好み焼き屋さんで

「広島焼き認定書」をいただいたことがあるのですが、正直、焼けないです。

ひっくり返したときに、キャベツをぶちまけてしまうのですが、、、

 

確かに、高偏差値の人は、たくさん記憶しているので、

ベースとなるものが多いとは思うのですが、大学はそういうところなのでしょうか。

 

ソモソモ、「高等教育」ってなんですか??

5教科の記憶量が高い人をいうわけですか?

 

それって、高校の延長線上にあるということですか?

 

 

大学は記憶(過去)というより、研究(創出・未来)なのかなと感じます。

卒業論文が必須の大学などは、過去を書き連ねるだけでは、レポートレベルになるかどうかも怪しいのではないかなと思います。知識という過去を集め、分析を重ね、オリジナリティのある発見がなければ、卒業論文はできないのではないかと思います。

 

データーを分析するなど、考察力がなければ、研究はできないと思っています。確かに、全く何も知らない状況では、分析もなにもないとは思うのですが、、、

 

しかし、擁護するとするならば、「高校卒業を一定の学力を携えた」という認識にし、勉強をしていない時間を「個性のある経験」と置き換えれば、高偏差値の学生とは違う発想力で、オリジナリティのある発見をできるのではないかなと思います。

 

もっといえば、偏差値で測れる範囲は限定的じゃないか!と思うのです。

 

偏差値という単一的な尺度で、上下を図るというのにオリジナリティがあるのでしょうか。

 

授業もまともに出ず、不貞行為ばかり繰り返す学生がいるならば、それは偏差値の高低に限らず淘汰すべきだと思いますが、偏差値という尺度だけで行うというのは、あまりにも雑な考えではないかなと思います。

 

そういった点を考えると、偏差値40以下の大学も大事!ということになると思います。

 

実際、市場原理で考えれば、低偏差値といわれる大学でも生徒がいる時点で、社会的必要性があるのではないかなと思います。その社会的必要性の中には、その大学の特性や大卒という学歴など、多岐にわたるものであることは言うまでもありません。

 

必要なければ、淘汰されるだけです。

必要ないという意見のバックボーンに学歴コンプレックスがあるならば、それはお門違いとしか言いようがありません。

 

もっといえば、高偏差値大学の生徒からすれば、「OUT OF 眼中」ということじゃないでしょうか。

 

まぁ、低偏差値の大学は、そもそも偏差値で戦ってないですよね。

新しい価値観で戦っているし、高偏差値の大学も偏差値以外の分野で戦っていませんか?

 

偏差値で高低をつける人しか、偏差値に興味がないのではないかなと感じます。

意識が高い学生などは興味があるでしょうけれども、、、

 

 

「低偏差値の大学があるから、日本の大学の評価が、、、」という人もいるとは思いますが。

 

THE世界大学ランキングをみてみると、評価基準が以下のようにあります。

  • Teaching:教育-学習環境
  • International Outlook:国際的な見通し-教授陣と学生の質
  • Industry Income:産業へ与える利益-革新性
  • Research:研究-ボリューム/収益性/評価
  • Citations:論文の引用度合

hot-topic-news.com

 

QS世界大学ランキングでは、以下の基準だそうです。

  • Academic Reputation(学界からの評判)40%
  • Employer Reputation(企業からの評判)10%
  • Faculty Student(教員あたりの学生数)20%
  • International Faculty(外国人教員の割合)5%
  • International Students(留学生の割合)5%
  • Citations per Faculty(教員一人あたりの論文引用数)20%

QS世界大学ランキング2016-2017による、世界大学TOP100・アジア大学TOP20・国内大学TOP15 | HOTNEWS(ホットニュース)

 

学力偏差値の出し方の違いはあるにせよ、世界大学のランキングには学力偏差値って関係しているのかという疑問もあります。

THE世界大学ランキングに「International Outlook:国際的な見通し-教授陣と学生の質

」はあるけど。。。

 

しかも、東大、京大の順番で、日本はランクインしているんですがね。。。

 

で、でも、世界大学ランキングの評価基準はいっぱいあるんです!

 

多様性のある社会で、一つの基準じゃおかしいんじゃないかなと。

 

そんなに学力偏差値をあげたいなら、AIでも入学させればいいんじゃないでしょうか。

多様性のある学生がいる大学は、多様性のある大学になるんじゃないかなと思います。

 

一般に言うエリートしか合格してないけど、東大もAO入試いれたし、

日本で初めてAOを入れたのは慶應ですし。

 

AOを青田買いってバカにする人もいますけれども、

青田だって稲穂をつけるわけです。早いだけです。

むしろ、早い方が加工の仕方が無限大なのではないかなとも思います。

 

「低偏差値は屁理屈ばかり」って批判されるかもしれませんが、

私はそう思っています。

 

1文字学部(法・医・文等)→2文字学部(情報、環境、心理等)→4文字学部(政策情報、総合政策、環境情報等)、、、になったのも、社会の多様性を反映していると思うんです。

 

ならば、1文字学部の学力偏差値、2文字学部の複合性、4文字学部以降の多様性という役割別もあるのではないかなと思いますし、今時、一領域だけで収まる研究って限られていませんか?

 

一つの専門領域だけで、社会現象を理解しようとする方が難しいのではないかなと思います。理系はわかりませんが。

 

そういった時代ですから、私は学力偏差値40以下の大学は無くせ!に正面から反論してみました。

 

まだまだ勉強が足らないところがあると思いますので、謙虚に頑張りたいと思います。